白根 専一(しらね せんいち)
嘉永2年12月22日(1850.2.3)−明治31(1898).6.14
長門国(山口県)萩に生まれた。
明治時代の藩閥政治家。
長州藩士(のち埼玉県令)多助の次男。
明倫館、慶応義塾に学び司法省に入った。
内務省に転じ木更津県、秋田県で累進、本省の庶務局長、大書記官、愛媛県知事などを経て明治23(1890)年5月内務次官となった。
翌年夏の政務部問題、覆牒変更問題では薩摩出身者と組んで省益の擁護に動くなど脱藩閥的傾向もみせ、品川弥二郎内相の下で実権を握った。
対政党強硬論者として知られ、第2回衆院議員総選挙では選挙干渉、自由党「党報」告発事件に関与、対議会策をめぐって副島種臣内相を退任に追い込んだが、同25年7月河野敏鎌内相就任に際し解任された。
宮中に入った後、第2次伊藤博文内閣に逓信相として入閣したが胃がんで倒れた。
同30年男爵となった。長州閥第2世代の筆頭格だが、官僚的傾向も強かった。
政治的には対極にあった中江兆民は白根を真摯な人と絶賛している。
[参]:佐々木隆「壮士次官・白根専一」(「日本歴史」500号)