松本奎堂は三河国刈谷藩士の家に生まれた。嘉永5年(1852)江戸に出て、昌平校に学び、碩学鴻儒と交遊して、詩文の名声も次第に高くなった。安政6年(1859)名古屋に出て塾を開いたが、文久元年(1861)には大坂へ移り松林飯山、岡鹿門とともに雙松岡學舎を創った。しかし、詩文に耽溺することを潔しとせず、志を国事に思い致して京都に上り、文久3年(1863)大和行幸の詔仰が出されると、天誅組の義挙を企て、藤本鐵石、吉村寅太郎と並んで総裁職に推された。しかし、諸藩の追討軍との争闘の中で33才で落命した。この詩は、「芳野懐古」と題されているとおり、建武中興・吉野時代の往事に思いを馳せて、勤皇の精神を叙したものである。天誅組の同志達は、京都から五条(奈良)を目指す南行の途次、観心寺の楠木正成の墓前で義挙の盟約を固めたということである。
満山櫻樹映春晴 想見六師會列營
日月争光兩天子 衣冠正位幾公卿
鸞與不返烏頭白 戎馬無休魚尾□
欲問當年南狩事 落花風外響華鯨
芳野懐古 奎堂衡
Copyright 1997, Kyoto University Library