この書の作者益田右衛門介は天保4年(1833)9月生まれで、長州藩家老を努めた人である。当初藩校明倫館に学んだが、嘉永2年(1849)吉田松陰に師事した。国事多難なこの時代家老の重職にあって、藩政の枢機に与り、藩主毛利敬親を補佐し、尊攘の大義に尽力した。志士に対しては、常に庇護する立場に立った。元治元年(1864)7月の長州藩兵の大挙上京に際し、慰撫の命を受けて上京したが、禁門の変が勃発し、国司信濃、福原越後両家老と共に兵を率いて奮戦したが、敗走し、帰藩した。第一回征長の役が起った11月12日禁門の変にかかわった三家老が自刃して責任をとることで藩の危機を救うことになった。右衛門介32才の時である。この書は尊攘運動のため、自藩のためなら、自分の命は軽いものだとしてこれを犠牲にする覚悟の程を示したものであろうか。
萬山不重君命重 一塵不軽吾命軽
Copyright 1997, Kyoto University Library