安政の大獄が進行する中、萩の野山獄に入れられていた吉田松陰も、安政6年(1859)5月に江戸へ護送されることとなった。そこで吉田松陰の門下生達は、同じ門下の画家松浦松洞に師の肖像を描かせ、松陰の自賛をもとめた。二十一回猛士は吉田松陰の号、日付の5月21(念一)日は、江戸護送の5日前である。
三分出廬兮諸葛己矣夫 一身入洛兮賈彪安在哉
心師貫高兮而無素立名 志仰魯連兮遂乏釋難才
讀書無功兮撲學三十年 滅賊失計兮猛氣廿一回
人譏狂頑兮郷黨衆不容 身許君國兮死生吾久齊
至誠不動兮自古未之有 古人難及兮聖賢敢追陪
思父年少能知敬我、我是以深愛思父、思父無爲而死、是思父爲辜我、我害義而生是我爲負思父、思父室懸我像、兩心相照、一幅感深、辜負二字、天地豈容之哉。歳之五月念一二十一回猛士書
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