4.マテオリッチ系・蘭学系世界図

 

 イエズス会マテオ=リッチが明末の万暦30年(1602)に北京で刊行した漢訳世界図「坤輿(こんよ)万国全図」は,南蛮世界図屏風とならんで,日本における古代以来の三国世界観に代わる西洋的世界像を伝え,わが国における世界認識および世界図作製に衝撃的な影響を与えた。日本語訳の同図写しおよび改訂・縮小による同図系の刊行世界図は,幕末に至るまで広く使用された。
 一方,蘭学の発達につれて,地球球体説をはじめ,新しい地理的知識も受容され,それにもとづく世界図も刊行されるようになった。司馬江漢や橋本直政などの蘭学系世界図は,世界を二つの半球に分けて描き,地球球体説を実感させる効果をもった。

 


地球万国山海輿地全図説

4-1 長久保赤水「地球万国山海輿地全図説」(c.1788)

 木版・手彩色。170×90 cm。

 日本におけるマテオ・リッチ系の世界図は,18世紀初頭からすでに板行されていたが,地理学者としての長久保赤水の名声に支えられて広く受容され,改訂版・縮小版が繰り返し刊行された。本図は,北海道島周辺に関しては新調査の成果が織り込まれているとはいえ,基本的には2世紀も以前のマテオ・リッチ図を踏襲したものであり,北極圏に「夜人国」などの架空の世界を描くなど「時代遅れ」のものといえる。蘭学系世界図が出現していた18世紀後期以降に人気を得ていたことについて室賀信夫は,「当時としては新奇な両半球図に不安と抵抗を感じた大衆の保守的心情」に,本図が合致したのではないかと推測している。【2-4】

 


坤輿全図

4-2 稲垣子[せん]「坤輿(こんよ)全図」享和2年(1802)

 木版・手彩色。57×118 cm。

 本図は,長久保赤水「地球万国山海輿地全図説」より後に作製されたものでありながら,その内容はより古い要素をとどめている。作者稲垣子[せん]は橘南谿に天文・地理などを学び,享和2年に『坤輿(こんよ)全図説』を著した。その内容は,マテオ・リッチの「坤輿(こんよ)万国全図」の地誌的記載を日本文に改めたものであり,本図はその忠実な縮小版として『坤輿(こんよ)全図説』に付されたものである。「坤輿(こんよ)万国全図」の世界像をそのまま日本語に翻訳する作業に徹したものといえる。【2-8】

 


万国地球全図説

4-3 小林公峰「万国地球全図説」(c.1852)

 木版・色刷。74×41 cm。

 江戸時代末期には,幕末の民衆が購買層となった世界図が多く刊行された。本図は「南方大洲」や「夜国」,「女人国」などを記す簡略化されたマテオ・リッチ系の世界図を中心におくものの,その周囲には「中華船」,「朝鮮国船」,「暹羅(シャム)船」,「阿蘭陀船」,「亜魯西亜船」,そして「外国車船」として外輪船を描いている。また右には,地球が球体であることがイラストを用いて平易に説かれている。このような「大衆向け」世界図には年記を欠くものが多いが,ペリー艦隊の来航以前から刊行されていたとみられる。【2-23】

 


世界万国日本ヨリ海上里数国印王城人物図

4-4 「世界万国日本ヨリ海上里数国印王城人物図」(1850以降)

 木版・色刷。47×36 cm。

 本図も,江戸時代末期に出された「大衆向け」のマテオ・リッチ系世界図である。本図においては大陸の形状はさらに簡略化され,地図としての正確さは大きく失われている。しかし本図の目論見は,架空の国を含めて国ごとの人物の姿態を示し,そして日本からの遠大な里程を示すことにあったことは容易に見て取れる。【2-24】

 


[か]蘭新訳地球全図

4-5 橋本直政「[か]蘭新訳地球全図」寛政8年(1796)

 木版・手彩色。55×93 cm。

 ヨーロッパ製世界図に依拠した蘭学者による世界図の最初の代表作は,司馬江漢の寛政4年(1792)の「地球図」だといわれる。本図の作者橋本直政は大坂における蘭学の草分け的存在であり,大坂で作られた最初の蘭学系両半球世界図ということになる。しかし「新訳」をうたいつつも,当時すでに「西洋の旧図に依て新図を用いず」と批判されている。カリフォルニア半島が島として描かれていることや,オーストラリアがニューギニアと未分離であることに表れているように,最新の原図を資料としたのでなく,18世紀半ば以前のものを用いたらしい。図の周囲は地誌的記載で埋め尽くされているが,これもまた,蘭学の最新情報であったわけではない。【2-1】

 


新訂万国略全図

4-6 「新訂万国略全図」

 木版・色刷。49×36 cm。

 作者・作製年不明であるが,解説の末尾で,「天保6年(1835)のフランス人原図による」と述べる両半球図である。この原図については不詳であるが,本図自体が描く大陸の海岸線はかなり簡略化されていることから,「大衆向け」に作製され,販売された世界図であったと思われる。それは,穿脚・長脚・長臂・不死国,女人国,小人国に言及する上部の解説にも表れている。これらの異域は,マテオ・リッチ系世界図や西川如見『華夷通商考』(1695)にもみられ,庶民向けの世界図・世界像を構成する重要な要素であった。【2-19】

 


万国地理細図

4-7 半山樵夫「万国地理細図」嘉永4年(1851)

 木版・色刷。33×22 cm。

 携帯可能なサイズの折本に収められた簡略な世界図である。地図は見開き2面分のみがみられるに過ぎないが,そのうちの一つはメルカトル図法による。本図は幕末に流布していた簡単な蘭学系世界図であるが,実は鈴木(鱸)重時による嘉永4年(1851)「校訂輿地方円図」の海賊版であり,本来の作者名と解題を削除して作製されたものに過ぎない。しかもその鈴木重時「校訂輿地方円図」にしても,弘化3年(1846)の永井則「銅版万国方図」に部分的な修正を加えて作製したものなのである。蘭学系の最新世界図への需要が高まるにつれ,安易に世界地図の複製が流布する事態が生じたことを窺わせる。【2-56】

 


渡海標的地球略図

4-8 石黒信由「渡海標的地球略図」天保4年(1833)

 木版・色刷。64×40 cm。

 本図は越中の測量家・地図学者として知られる石黒信由が作製したもので,蘭学系地図学の基礎知識をやさしく説明したものである。右半分は,経緯線や回帰線,極圏(夜国界)について述べ,左半分では北極側からみた日本周辺を図示している。ただしその内容は最新のものとは言えず,北海道の形状をみるかぎり,林子平図の段階に止まっている。とはいえ,本図のような蘭学系地図学の基礎知識が一枚にまとめられて板行されていたことは興味深い。【2-34】

 


A Map of the World in Japanese

4-9 武田簡吾訳 `A Map of the World in Japanese` 文久2年(1862)

 木版・手彩色。155×89 cm。

 幕末になると,メルカトル図法による大型の世界図が刊行された。本図はその代表作の一つで,イギリスの「庸普爾地氏」の1845年の図を訳したものと述べている。もっとも本図はその初版(安政5年 1858)ではなく,横浜居留のオランダ人E. Schnellによって4年後に刊行されたものである。探検家の軌跡が示されており,そのなかにはラ・ペルーズ(ペローセ氏)もみえる。本図の原図は,安政元年(1854)に下田に停泊していたロシアのプチャーチン使節から得られたものだとされる。原図は,地図の塩抜きのために使節から日本側に一時的に預けられていたもので,これを沼津在住の蘭方医武田簡吾らが翻訳したものだという。【2-67】

 


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