解説

 京都大学附属図書館が収蔵している「國女歌舞妓繪詞」は、歌舞伎の前身であるお国歌舞妓研究上の貴重な資料として、早くより学界に珍重されている奈良絵本である。

 本書は本丈斐紙十四丁、内極彩色挿絵十五面、他に表と裏共二紙、縦十八糎、横二十七糎、横長袋綴の写本一冊で、綴直しと前小口折目切れ数丁の糊付補修のある外は、改装の跡を見ないもとからの草紙仕立である。題簽は落ちて内題も無く、原題名を知る便がないため、従来「阿國歌舞妓草紙」と呼び慣わしている者もあり、或いは又これを納めた紙袋表面の紙片に題署してある「國女歌舞妓繪詞」を以て題名としている者もある。今回の複製に際しては後者を選ぶこととしたが、この紙袋の裏面には複製翻刻の通り、旧蔵者であった青々斎が本書発見の来歴を伝え、表紙見返に小紙片を貼付して記している識語も亦彼の自筆に依るものと考えられる。

 その記するところに依ると、本書は嘉永三年、当時京都の唖小路に住んでいた近佐と云う者が青々斎のところにもたらした多くの反古の中から、数百年を経た古券類と共に発見された。その後どの様な経緯を経たかに就いては今明らかでないが、大正三年当館の有に帰し、同年七月文学部教授紫影藤井乙男博士に依って始めて学界に紹介されて以来、識者の注目するところとなり、爾後歌舞伎の起源成立を論ずるに当っては、本書に言及しない者は殆んどないと云っても決して過言ではない。

 現存している歌舞伎古図中、特に詞書を有っているものとしては本書の外に土屋俊彦氏蔵「阿國歌舞妓圖」、中村福助氏蔵「かぶきのさうし」、徳川黎明会蔵「歌舞妓草子画巻」の三つが著名であり、その中徳川黎明会所蔵のものは長さ十五米余にも及ぶ長巻のものであるが、ただこれはお国にやや後れ、その継承者であると考えられている采女の歌舞伎を描いたものとされているために、お国歌舞妓に関する貴覯の資料として直接本書と比較考究されるものは僅か二本にすぎない。而して骨董集に模刻された土屋氏蔵の原本は残缺であり、中村本は本書と同じく奈良絵本であって、これ等三者の関係を見ると、本書は土屋本とは挿図においては別個のものであるが詞書においては一致して居り、而も土屋本が僅か一段のみを遺している巻子本の断片にすぎないのに対して、本書はその全文を今日に伝え、また中村本は独特の画面を持ちながら、他面その構想並に詞章においては本書と共通のものを有している点などから、本書は稀少なお国歌舞妓研究の根本資料に新しく貴重な追加をなしたものとして学界に広く喧伝されるに至ったのである。

 かくて本書が世に現れて以来、お国歌舞妓に関する論考は一段と多きを加えるに至ると共に、一方この書の翻刻も相次いで行われた。大正三年七月藤井乙男博士がその詞書を「藝文」誌上に翻刻したのを始め、大正八年三月刊行された「大日本史料」は詞書のみならず挿図をも写真版に付して挿入し、大正十、十一年には終に稀書複製会が原寸大の彩色木版を以て複製刊行した。今回の複製は即ち単色版ではあるが、玻璃版に依って原本の全貌と生彩とを精密に再現する企図を以て為され、かく新たに別途の整版効果による複製一本を加える事によって既刊本を補い、広く内外の研究と清鑑に供して、新知見への貢献を期待しようとしたものである。

 本書の成立については、なかんずくその著者並に筆者を始め、未解決の課題をなお数多く残している。ただ成立年代については詞書に見られる事件の史実、作画の画風などに関する諸家の研究を通じて、慶長九年直後から寛永初期に至る間と推定され、本書が原本であると転写本であるとに拘らず、それ以降に下る事はなかろうとするのが、諸家のほぼ一致した今日の見解である。一方画面の背景をなしている時代を考え、詞書に織込まれている歌の変遷を辿ると、そこには慶長九年を遡る要素を多分に含み、而も詞書の全体には、発達した最盛時の劇的構成を伝えているかとも思われる謡曲ぶりの構成が見られ、この点においては或いは上演当時の脚本と場面写生ではないかとの考え方も行われ得るであろうが、他面また僅かながらも現存している資料との間に、その詞章部分における一致や画面の類似が見られること、詞書の構成に幾分の本地物式な草紙風を交えていること、更には画面に写実以外の表現の工夫が払われていること、或いは踊を主とした当時にしては全体として整いすぎた劇的構成を持っていること、などより推して、矢張り当時読み物として行われていたいくつかの同類草紙中の一つとする考え方が穏当ではなかろうか。

 本書の梗概を辿ると、出雲大社の社人が、その娘の国にかぶきおどりを習わして都へのぼり、花の北野神社でかぶきの踊を始めた。最初に念仏踊をすると、その念仏の声にひかれて名古屋の亡霊が、「我も昔の御身の友」即ちお国の旧友と云う形で現れ、お国に自分を思い出させると共に、「ふしぎの喧華」をして早世した無念を述べうさ晴しに昔歌った歌を歌う。「あただうき世は」から「そなたおもへば」の歌までがそれである。次にめづらしきかぶきとして浄瑠璃もどきという歌を歌う。「わが恋は」と「世の中の人とちぎらば」の長い二つの歌がそれであり、やがてかぶきの時もすぎて名残を惜しみつつ、歌えや舞えやと再び「おかへりあるか」「こはた山路」「まくら八千夜も」の歌を歌うのである。ここで筋は終り、最後に跋文の如きものがあり、本地物式に、お国を神格化してこれを出雲大社の権現とし、衆生の悪を払うためにこのようなかぶきの一ふしを現し給うたものであると結んでいる。

 なお巻頭の図は芝居小屋の外郭、鼠木戸を二つ設けた竹矢来を描いたものであって、これに対応する詞書を見出し得ない点については、最初からこれを欠いていたものか、或いは後に失われたものであるかは今なお明らかでない。

 本書の主題となり、また歌舞伎の祖と言い伝えられているお国並に名古屋山三の詳細についても、未だ稀少な資料をめぐっての論争の過程を脱する域には到達していない。過去の記録がこの両人に就いて余りにも種々に伝えている事によるものであるが、それらの中に於いて本書は「おくに」を以て出雲大社に仕えていた社人の娘であるとし、お国の父が出雲大社の社頭において描かれ、ふるさとの出雲をあとにして都に上るお国「道行」について記述されかつ描写されている。名古屋についても、お国に「なごさん様」と呼ばしめており、お国の旧友としての取扱を以て記述され、「ふしぎのけんくわをしいだして」と云わしめているのは、慶長九年春津山城修復に際して、当時津山の城主であった森忠政に仕えていた彼が、同僚井戸宇右衛門と争って終に一命を落すに至った事を伝える記録と一致する内容を有つものである。従って本書の作製された年代は、こうした内容に基いておのずとそこに一つの限界が設けられる。即ち名古屋の亡霊が出現する事に依って彼の死後である事、またお国が出雲大社の権現として敬仰されていることからお国の在世中としては不自然である事の二つであるが、この両人の没年を明確に為し得ない現在においては、本書の製作年代はこの面においてもなお依然として明らかにし難い。

 お国歌舞妓は、いわば近世歌舞伎劇発展の第一段階を為すものであり、歌舞を主要素とする歌舞伎踊である。本書においても「まづまづ念佛踊をはじめ申さう」とある様に、舞台面の描写はお国が塗笠を冠り、鉦を叩きながら弥陀の名号を唱えつつ踊る念仏踊を以て始まり、次いで名古屋の亡霊が現れ、二人の間に綿々たる対談が続けられる。この対談が終ると、ここに一転して小歌六首を歌って踊る歌舞伎踊が展開されて行くのである。而してこれに対する図面もまた一転して、お国はもはや念仏踊の衣裳ではなく、男装して銀の長剣を挾み、右手に「茶屋のおかゝ」即ち茶屋の女、後ろに猿若を控え、最後に以上四人の総踊りの図を以て終っている。即ち舞台面の描写は踊をもって終始しているのである。而してこのお国における念仏踊の素地は、すでに戦国時代においても見られた一乗寺念仏踊などの如き民衆の娯楽に求められるであろう。このお国の念仏踊も初めは僧衣を纏って為されたものであると云う記録に基いて本書を考察するとき、ここに描れているお国の衣装にはすでに僧衣が見られないことから相当念仏踊が発達を遂げた後における姿を描いたものであろうとされている。而してこの様な念仏踊に出発したお国が、歌舞伎踊の創始者とされるに至ったゆえんは、「かぶき者」即ち「異相者」としての男装を舞台に現した事に基くものであって、本書においては念仏踊と歌舞伎踊のお国が共に描写されていると云うことが出来る。

 また本書に描かれている歌舞伎踊の舞台についても、お国における歌舞伎踊の舞台は、その先行芸能である能式の舞台構造をそのままに踏襲し、これを簡易化したものであると云う通説から洩れるものではないが、名古屋の亡霊が観客席から現れて来る図面に対しては、従来色々な解釈が行われている。この図は詞書においてお国が、「おもひよらずやきせんの中に、わきてたれとかしるべき」と驚き喜ぶ個所に該当するものであるが、かく貴賤さまざまの観衆の中に名古屋を置いているところに、役者と観客との融合延いて歌舞伎踊が歌舞伎劇に移行してゆく前段階並に近代歌舞伎における親炙式の舞台をも看取しようとする人々と、かかる見解を全く否定する人々との相対立する立場が尚現在においても見られる。

 本書の解説にはなお言及しなければならない多くの問題が残されているであろうが、何れにせよ本書がお国にはじまる歌舞伎踊の舞台相並にその演出方法などを研究する上に、現存する資料の中では最も貴重なものの一つであると云う点において、本書複製の有つ意義は決して少なくはないであろう。


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