挿絵とあらすじで楽しむお伽草子 第10話

雁の草子
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 京都の堀川の辺りに一人の娘が住んでおりました。宮仕えに上がっておりましたが、両親はすでに世を捨てて出家してしまっておりましたので、頼る人もございません。娘はそんな自分の身の上を嘆き、もの思いに沈みがちでございました。
 ある時、娘は石山の観音様に七日間参籠しようと思い立ちました。
「観音様、どうぞわたくしに頼りになる夫を授けて下さいませ。もしそれも叶わないのでしたら、ひとえにこの世を捨てて、後世を願いとうございます。」
 夜昼お経を読んでは拝みます。
 ちょうど中秋の名月の頃とあって、空には美しい月がかかっております。疲れてぼんやりともの思いにふけっていると、折しも雁が一列飛んでいるのが見えました。
「うらやましいこと、あのような鳥でも夫婦仲良く一緒になって飛んでいるものを……。いっそ雁でもかまわないわ、頼りになる夫になってくれたら。」
 すると遠くを飛んでいた雁の中から一羽が群を離れて降りて参りました。娘はうとうととまどろみながらそれを見ておりました。
 そばに人の気配がするので目を覚ますと、傍らに狩装束の男性がいるではありませんか。
「都へ上る途中に、霊験あらたかなこの石山の観音様にお詣りいたしましたが、ここであなたとお目にかかるのも何かのご縁かと存じます。差し支えなければ京へお供させていただきとうございます。」
 心を尽くして娘に語りかけます。娘も仏様のお導きと頼もしく思いながらも、夢見心地でおりました。男は、
「下向なさる折りにはお供仕りましょう。わたくしは越路の兵衛佐秋春と申します。」
と言って、どこへともなく消えていきました。

【(男)「宿願があって遠い田舎から参詣いたしましたが、あなたのお姿を垣間見て、思わずここまで来てしまいました。都へお供仕りたい。少しお話しさせていただけませんか。」
(娘)「どなたですか。お人違いでございましょう。わたくしは身寄りのないものですので、都のことも存じません。」】
 誰ともわからない男が夜な夜な通ってきては、
「都でのお住まいを知らせて下さらずに帰ってしまわれたら、お恨みしますよ。」
と、頼もしげに言うので、娘の方でも、
「本当にわたくしを探し出して下さるおつもりなら、堀川のあたりをお探し下さい。」
と、自分の屋敷の在処をほのめかします。
 七日の参籠期間も満ちたので、娘は都へ帰って参りました。男は言葉通り、娘の居場所を探し出して毎夜通って来ます。田舎の者ということなので、さぞや無骨であろうと思っていたところ、思いの外に優雅で繊細です。娘はうれしくて宮仕えも怠りがちでございました。
 けれども男は夜しか通って来ないので、もしや醜いのを恥じて夜だけ橋を作ったという葛城の神様かしらんと不思議に思っておりました。

【(娘)「隔てなく思って下さるとおっしゃりながら、どうして身の上を明かしては下さらないのです。」
(男)「わたくしがどこから来るとはっきり申し上げないので、打ち解けていないと思っていらっしゃるのですね。ちょっと人に知られたくないことがございまして。」
(侍女)「お殿様がたまたまゆっくりされているのですから、これを差し上げて下さいな。」】
 男は田舎者らしくお米をたくさん持って参ります。娘のよるべない境遇を思いやってのことなのでしょう。
 男が都での宿を教えてくれないので、娘は時々恨み言を申しましたけれども、男は、
「敵持ちの身なので用心しているのです。あなたを信頼しないわけではありません。周りの侍女たちを憚ってのことなのです。」
とかわしておりました。

【別れの予感 (男)「再びお会いできる日まで、どうかわたしを待っていてください。」】
 春になりました。どうしたことでしょう、もの皆浮き立つ春なのに、男はもの思いに沈んだ様子です。
「もしわたくしが遠いところへ行ってしまったら、どんな男と添われるのでしょう。気がかりなことです。」
などと言うので、娘は「もしや故郷へ帰るというのかしら」と不安でたまりません。
 三月も半ばになりました。ある夜男は、
「今宵限りで故郷へ帰ることになりました。生きていれば次の秋に再びお会いしましょう。心変わりなさらずにお待ち下さい。」
と言って涙にかきくれております。
「せめてお便りだけでも差し上げましょう。」
と、これまでのことや将来のことなど、一晩中語り明かします。
 とうとう別れの時がやってまいりました。まだ暗いうちに帰っていく男の姿を見送ろうと端の方へでてみると、男はかき消すように見えなくなって、雁が一羽、軒先から空高く飛び立っていきました。

【これっきりだと思って涙がとまらないせいでしょうか、男の姿が見えません。霞がかかっているせいでしょうか、道も見えません。不思議に思っていると雁が一羽飛び立ちました。
(娘)「ああ、あの方は雁だったのだわ。」】
 「石山の観音様に夫を授けて下さいとお願いしたけれど、つたない宿世のために、人間ではなく鳥と縁を結んで下さったのだわ。浅ましいこと。」
 そうはいっても、雨の日も風の日も変わらず通い続けた男のことが恋しく思われるのでございます。
「せめて夢でもいいから会いたい。」
 ある晩のことでした。夢ともなく現ともなく、雁が空を横切り、手紙を娘の枕元に置いていきました。不思議に思って目を覚ますと、果たして手紙があります。さては夢ではなかったのだわと喜んで手紙を開いてみました。
「不思議な宿世により、卑しい鳥の身に生まれながら、あなたと結ばれ、八ヶ月の間夢のようにはかない契りを結ぶこととなりました。あなたのことを思うと空の旅路も涙でかきくれてしまいます。
 途中で羽を休めていたところ、狩人に射られて命を落としてしまいました。次の秋にはとお約束しましたのに、それも叶わぬ事となってしまいました。わたくしのことを変わらず思って下さるなら、出家してわたくしの後世を弔って下さい。
 花のようなあなたに名残を惜しみつつ飛び去った雁は、悲しいことにあなたよりも先に花のように散ってしまいました。」

【(娘)「たった今夢を見たわ。殿がいらっしゃったので『ようこそご無事でお帰り下さいました』と申し上げようとすると、どうも様子がおかしいの。不思議に思っていると目が覚めたのだけれど、驚いたことに本当に手紙が枕元にあったのよ。夢のようだわ。恋しい方からの手紙を読むと、あの方がここにいらっしゃるような気がするわ。」】
 「唐土(もろこし)でも同じようなことがあったはず。昔、漢の武帝が胡国を攻めるために蘇武を遣わしたけれど、戦いに敗れて、蘇武は岩窟に閉じこめられてしまう。思いあまって雁に手紙を故郷に届けてくれるようことづけると、雁は漢王のもとに確かに手紙を届け、そのおかげで蘇武は故郷に帰ることができたというもの。やっぱり雁というのは心ある鳥なのだわ。だからこそわたくしもあの雁の殿とはかない契りを結ぶことになったのね。」
 今となっては秋を待てという約束も何にもなりません。ある夕暮れに乳母の中将だけを伴い、近くの寺で出家し修行の旅に出発いたしました。同じことならと殿の故郷である越路へと向かい、そこで小さな庵を結び、一心に男の後世を弔っておりました。
 月日は過ぎ、とうとう最期の時がやってまいりました。娘はついに往生を遂げ、極楽に生まれたということでございます。

【(乳母)「澄んだ水が美しゅうございますね。」
(娘)「こんな風に生まれたのも運命なのでしょうね。なのに涙が流れてしまうわ。」】


■ 完 ■

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