第 5 編

年   表


[文久元(1861)年]
8.16 オランダ海軍医官ポンペの建議により設立された長崎養生所、開院式挙行。
11.- 長崎養生所、精得館と改称。
[慶応元(1865)年]
8.- 長崎精得館に分析究理所付設。
[慶応2(1866)年]
2.- オランダ二等軍医ハラタマ来日、分析究理所教師に就任。
10.- 分析究理所の江戸移設決定。
[慶応3(1867)年]
8.- 幕府、大坂開成所設置を構想。
12.9 王政復古の大号令。
-.- 幕府、江戸開成所内に理化学校建設。翌年春の開講を予定。
[慶応4?明治元(1868)年]
1.3 鳥羽・伏見の戦い(戊辰戦争勃発)。
3.14 五箇条の誓文発布。
3.- 開成所教授並何礼之助、「仮語学所積高」作成。舎密局、医学館、語学所の3施設からなる大学校設置を計画。
6.- 大阪府知事後藤象二郎・参与兼外国官副知事小松帯刀、理化学校の大阪移転を建言。
7.- 新政府、理化学校を舎密局として大阪に創設することを決定。開成所御用掛の田中芳男・神田孝平・箕作麟祥・何礼之助、教師ハラタマおよび生徒数名を派遣。
9.8 明治と改元し一世一元の制を定める。
10.4 大阪城西側大手前旧城番邸跡に舎密局校舎起工。明治2年3月下旬完成。
10.- 大阪府、新大学校設立の布告案作成。様々な教科を対象とする総合的教育機関を構想。
[明治2(1869)年]
2.25 大阪府、舎密局諸事と教頭ほか諸職員を管轄。
3.2 舎密局、博物館への改称を大阪府に伺出。
3.5 大阪府、舎密局の入学許可願書(「口上書」)認可。このなかで諸身分・階級に門戸を開放。
3.16 大阪府、舎密局の入学束脩と月々の伝習料につき認可。それぞれ600疋、月100疋と規定。
5.1 舎密局、開講式挙行。ハラタマ教頭が開講の趣旨を演説。大阪府知事以下諸官吏、各国領事官、教職員、生徒ら数百人が臨席。
5.8 舎密局、授業開始。
6.15 昌平学校が大学校となり、開成学校・医学校はその分局となる。幕府学問所の流れを汲む東京の3官立学校を統合。
6.17 版籍奉還。
8.- 何、洋学校創設を発議。大阪府も洋学校諸職員を任命。
9.12 大阪府、洋学校開設を布告し、何の役宅に洋学校調所設置。
9.22 天満川崎の旧営繕司庁跡に仮洋学校開校。
9.- 仮洋学校、入学規則と寮則を大阪府に差出。入学金を500疋と規定。語学中心に普通学科を課す。
10.- 何、「学校之儀ニ付建言」を大阪府と大蔵大丞山口尚芳に提出。洋学校設立の趣旨とその充実を訴える。
10.- 舎密局、何の原案による「建白七ケ条」を大阪府と大蔵大丞に提出。舎密局の大学校移管を訴える。舎密局を理化二学の高等教育機関かつ大学校への予備教育機関と位置付け。
12.3 何、洋学校督務を命じられる。
12.17 大学校を大学、開成学校を大学南校、医学校を大学東校と改称(第1162)。
12.22 洋学校、民部省の管轄となり、兵庫県洋学校を合併して島町旧代官所跡に移転し正式発足。
12.- 舎密局寄宿舎完成。
[明治3(1870)年]
1.- 舎密局、「支配」関係にある者からの願書提出など入学手続きに関する制限を全廃。
1.- この頃舎密局、大阪化学所の名称も使用。
4.3 化学所および洋学校、大学南校管轄となる。
5.20 大阪理学所、造幣寮管轄となる(第364)。
5.26 大学、化学所に対し、理学所と改称の旨達。
5.- 洋学校教則制定。
6.13 大学権少丞准席中島秀五郎(のち永元と改める)、洋学校出張事務取扱を命じられる。
7.- 洋学校、語科に仏語追加。
10.18 大阪理学所、大学管轄下に復帰(第685)。
10.24 洋学校、開成所と改称し理学校を分局として併合(第695)。
10.- 大学出仕奥山嘉一郎(のち政敬と改める)、理学校事務取扱を命じられる。
閏10.8 開成所、校舎不足のため、理学校と合併した新校舎の造営を要望、取り計らいを依頼する旨を大学に差立。12月頃には一時入学差し止め状態となる。
12.- 理学所のハラタマ教頭、契約満了し退任。
[明治4(1871)年]
7.8 開成所、理学所敷地内に新営した校舎にて開校。
7.14 廃藩置県の詔書発布(太政官350)。
7.18 文部省設置(太政官361)。開成所は文部省管轄となる。
7.- 洋学校、独乙学設置の建白。
10.- 文部省七等出仕肥田玄二郎(のち昭作と改める)、開成所校長に就任。
11.12 岩倉具視を特命全権大使とする遣外使節団、横浜を出発。
[明治5(1872)年]
6.6 天皇、開成所に来学。
8.2 学制制定につき布告(太政官214)。
8.3 学制頒布(文部省布達14)。
8.3 文部省、開成所に対し、第四大学区第一番中学と改称すべき旨達。
8.17 外国人ニテ教授スル中学教則頒布(文部省番外8月17日)。修学年限、学科目、時間数などについて規定。
9.8 中学教則略頒布(文部省番外9月8日)。学科目を規定。
10.3 第四大学区第一番中学、理学所を受け継いだ理化学課程と変則生教授を廃止(文部省10月3日)。
10.18 第四大学区第一番中学、一旦閉校し退学させた全生徒に改めて試験を実施し、適格者に入学許可を与えて再開。
11.29 文部省七等出仕奥山政敬、第四大学区第一番中学校長に就任。
12.3 太陽暦を採用、この日を1873年1月1日とする。
[1873(明治6)年]
1.10 徴兵令制定。
3.18 学制二編頒布(文部省30)。
4.10 大学区分画改正(文部省42)。第四大学区第一番中学を第三大学区第一番中学と改称。
4.- 文部省、第三大学区第一番中学に対し、教則を外国語学校教則に改めるべき旨達。
4.23 第三大学区第一番中学を開明学校と改称(文部省54)。
4.28 学制二編追加頒布(文部省57)。外国語学校の学科目、修学年限について規定。通弁養成に加え専門学校進学の予備教育のための機関として位置付け。
5.3 外国語学校教則頒布(文部省61)。修学年限、学科目、時間数などについて詳しく規定。
8.29 開明学校、仏学科廃止の見込みを伺出。10月31日廃止。
[1874(明治7)年]
1.17 板垣退助ら、民撰議院設立建白書を左院に提出。
4.18 開明学校、大阪外国語学校と改称(文部省布達16)。
4.- 文部省、外国語学校教則改正。専門学校進学の予備教育に重点を移し、英語教授を主とする。
12.27 愛知・大阪・広島・長崎・新潟・宮城の各外国語学校、英語学校と改称(文部省30)。
[1875(明治8)年]
2.23 大阪英語学校、校名改称に伴い改正した学則を伺出。3月31日認可。
4.- 大阪英語学校、構内旧理学所と薬園地を内務省大阪司薬場へ引き渡し。
6.24 大阪英語学校、普通科卒業生を対象とした専修科設置を上申。12月24日再上申。
9.- 大阪英語学校、授業手伝生制度を導入。
10.10 文部省督学局九等出仕高橋是清、大阪英語学校長に就任。
10.14 文部省八等出仕高良二、大阪英語学校長に就任。
11.29 同志社英学校開校。
1912.2.14 同志社大学設立。
[1876(明治9)年]
2.26 日朝修好条規調印。
5.10 フィラデルフィア万国博覧会開会。大阪英語学校より試験問題・答点表・作文・地図・写真を出品。
[1877(明治10)年]
1.15 大阪英語学校、文部省に寄宿舎則を届出。
1.30 西南戦争勃発。
1.- 大阪英語学校、書籍規則(書籍貸与規則・書籍払渡規則)を制定。
2.5 京都-大阪-神戸間鉄道開業式挙行。
2.14 天皇、大阪英語学校に来校。
2.19 宮城・愛知・新潟・広島・長崎の英語学校廃止(文部省布達1)。
2.- 大阪英語学校、授業料改定。年額一等18円、二等9円、三等4.5円と規定。
3.- 大阪英語学校、舎生長設置。学力品行良の年長者を手当金3円で登用し、舎生長仮定心得制定。
4.12 東京開成学校と東京医学校を合併、東京大学を設置(文部省布達2)。
4.12 東京英語学校と東京開成学校普通科を改組し、東京大学予備門を設置(文部省布達3)。
6.25 大阪英語学校、専修科開設を伺出。
7.4 伺済となり校則改正。3学期制を導入し、数学・物理学・化学の専修科を設置することを規定。
[1878(明治11)年]
7.10 大阪英語学校、普通科より舎密局以来初めての卒業生を出す。
12.14 大阪英語学校、改めて専修科開設を上申。1879年1月23日実施認可。
[1879(明治12)年]
4.2 文部省、大阪英語学校に対し、大阪専門学校と改称し理学科・医学科を設置する旨達。
4.4 大阪英語学校、大阪専門学校と改称(文部省布達3)。
4.4 東京大学予備門綜理服部一三、大阪専門学校綜理に就任。
4.4 琉球藩を廃し沖縄県とする旨布告(太政官布告14)。
4.10 文部省、大阪専門学校に対し、本科教員は教授・助教、予科教員は訓導・助訓と称すべき旨達。
5.12 文部省、大阪専門学校に対し、職制及事務章程を達。
6.17 大阪専門学校、予科教則案伺出。6月30日一部訂正の上認可。
8.23 大阪専門学校、化学科医学科仮教則伺出。9月4日認可。
9.4 大阪専門学校規則施行。化学と医学の2専門科よりなる本科(4年)、普通科としての予科(4年)を設置。
9.29 学制を廃止して教育令制定(太政官布告40)。
[1880(明治13)年]
1.17 服部綜理、この日より数度、新校地検分のため京都府伏見へ出張。
4.5 集会条例布告(太政官布告12)。
4.15 体操伝習所主幹折田彦市、大阪専門学校長に就任。
5.17 文部省、大阪専門学校に対し、綜理を学校長と改称する旨達。この頃教授・助教以下も教諭・助教諭・雇教員などと改称。
6.2 文部省、大阪専門学校に対し、「理学科」を当分廃止すべき旨達。
7.31 化学科廃止。
8.10 大阪専門学校、予科教則改正を伺出。10月21日一部訂正の上認可。
8.13 大阪専門学校、本科医学科教則改正を伺出。8月23日認可。
9.- 大阪専門学校校則発行。通則において理学・医学の2専門科よりなる本科(4年)、予科(3年)の設置を規定。
12.11 文部省、大阪専門学校に対し、大阪中学校と改称し医学科を廃止して中学科を設置する旨達。
12.26 大阪専門学校を大阪中学校と改称(文部省布達2)。
12.28 教育令改正(太政官布告59)。
[1881(明治14)年]
2.12 大阪中学校、文部省に大阪中学校現行学科課程を提出。邦語中学科は設置されず、英語中学予備科(1年)と英語中学科(4年)により構成。
6.13 大阪中学校、英語科教則伺出。英語専用の専門学校もしくは大学予備門への進学教育の場と位置付けた英語科を構想。
8.30 英語科存続を再び伺出。
7.29 中学校教則大綱公布(文部省達28)。中学校を高等普通教育機関として位置付け。
8.- 大阪中学校、訓導を教諭・助教諭と改称。
9.- 大阪中学校中学科、附属英語科を伴い発足。
10.11 明治十四年の政変。
10.12 国会開設の詔発布。
12.- 大阪中学校、文部省に提出した『大阪中学校年報』において、幼年生徒寄宿舎開設、体操科振起、学力差解消のため学力不足の生徒を対象とする変通授業法実施などを将来の緊急要務として提示。
[1882(明治15)年]
3.- 大阪中学校、幼年舎仮設。
7.11 文部省との数度のやりとりを経て大阪中学校規則決定。授業料は1学期1円と規定。
7.- 諸規則を収めた『大阪中学校一覧』印行。文部省に進達し各府県に頒布。
11.16 文部省、大阪中学校に対し、中学科設置以前の入学生のために附属英語科を暫時設置することを認可。
[1883(明治16)年]
2.- 大阪中学校、試業規則による初の学級試業実施。
3.- 大阪中学校、附属英語科教則伺出。中学科設置以前の入学者以外の新入生入学を禁止し修業年限を5年と規定。
7.10 大阪中学校附属英語科、卒業生を出して閉鎖。
9.- 大阪中学校、変通授業法の廃止を伺出。
9.- 大阪中学校、初の試験による入学者を出す。
[1884(明治17)年]
1.26 中学校通則制定(文部省達2)。第1条に「忠孝彝倫ノ道ヲ本トシテ高等普通学科ヲ授クルヘキモノトス」と規定。
4.- 折田校長、文部大輔九鬼隆一に同行し京都府伏見桃山を巡視。
9.- 大阪中学校学則一部改正。総則第1条に「忠孝彝倫ノ道」を本とする旨を追加。
9.- 大阪中学校、助教諭と雇教員の間に御用掛教員を新設。
[1885(明治18)年]
4.10 『日出新聞』創刊。
6.- 文部卿大木喬任、太政大臣三条実美に対し、大阪中学校を大阪大学部校と改称し漸次一大学とする旨伺出。
-.- この頃、大阪中学校、関西大学創立次弟概見を提出。大学への昇格を構想。
7.13 大阪中学校を大学分校と改称(文部省告示2)。
7.17 大学分校、9月発足に備え仮規則一斑を上申。
8.2 折田校長、文部権大書記官久保田譲に同行し、新校地検分のため大阪府堺、京都府、兵庫県に出張。
9.5 大学分校、規則を作成し伺出。
9.11 大学分校、在学する元中学校生徒を予備科生に再編成し新入生を加え発足。
9.18 折田校長、新校地検分のため、大阪府信太山、京都府伏見陸軍兵営、兵庫県摩耶山や西之宮などへの出張伺出。
11.7 大学分校、規則を訂正の上再び伺出。
12.2 裁可。本科(理学・文学)、予備科を設置。本科にはさらに法・医・工科の設置を構想。予備科授業料を年15円と規定。
12.22 太政官制を廃し内閣制度発足(太政官達69)。
12.28 文部大書記官中島永元、大学分校長に就任。
[1886(明治19)年]
3.2 帝国大学令公布(勅令3)。帝国大学の目的を「国家ノ須要ニ応スル学術技芸ヲ教授シ又其蘊奥ヲ攷究スル」ことと定め、分科大学・大学院・総長・評議会・評議官・分科大学長などに関して規定。東京大学、工部大学校を統合して帝国大学に改組。
4.10 師範学校令公布(勅令13)。
4.10 小学校令公布(勅令14)。
4.10 中学校令公布(勅令15)。尋常中学校・高等中学校の2段階を設置。
4.29 文部省、大学分校を第三高等中学校とすることに決定(文部省報告)。
4.30 高等師範学校高等中学校東京商業学校官制公布(勅令35)。
7.1 高等中学校の学科と程度を規定(文部省令16)。
7.28 第三高等中学校、予科仮課程を伺出。低学力者を対象とした別課(2年)を設置。8月13日認可。
9.- 第三高等中学校生徒、寄宿舎生徒組合規約を自主制定。
11.21 京都府通常府会、高等中学校誘致のため地方税より10万円を文部省に寄付することに関する諮問案を討議、可決。
11.30 高等中学校の設置区域決定(文部省告示3)。第三区の高等中学校設置は京都に決定。
12.6 文部省、第三高等中学校に対し、設置場所を京都とする旨達。
12.14 第三高等中学校、規則開申。
1887.4.14 裁可。授業料を年15円と規定。
12.27 森有礼文相、京都にて新校地検分。第三高等中学校移転地を愛宕郡吉田村に決定する旨発表される。
[1887(明治20)年]
2.15 天皇、第三高等中学校に来学。
4.22 文部省参事官折田彦市、第三高等中学校長に就任。
5.13 京都府臨時府会召集。高等中学校設置費用を創設費という費目で捻出することを討議。5月14日可決。
5.21 学位令公布(勅令13)。学位を博士・大博士の2種とし、文相に授与権を付与。
7.6 高等中学校の学科と程度を一部改正(文部省令4)。学科を法・文系(一部)、工・理系(二部)、医(三部)に分割。
8.19 高等中学校の医科を教授する所を医学部とし、第一から第五までの各高等中学校にこれを設置することとし、その位置を規定(文部省告示6)。第三高等中学校医学部は岡山に設置。
9.11 第三高等中学校本科発足。授業料を本科年20円、予科年15円と規定。
9.17 高等中学校医学部の学科と程度を規定(文部省令9)。
10.19 高等中学校生徒定員を規定(文部省告示10)。第三高等中学校は本科予科1,150名と医学部400名で最大規模。
12.26 保安条例公布(勅令67)。
12.28 高等中学校予科補充生について規定(文部省告示15)。予科に欠員のあるときは当分予科補充生を入学させ、その学科および程度は尋常中学校の1・2年によるとする。
12.- 高等中学校長会議で第三高等中学校への法科設置を議決。
[1888(明治21)年]
3.31 第三高等中学校、奈良・月ケ瀬・笠置方面へ5泊6日の第1回修学旅行実施。
4.1 第三高等中学校医学部、岡山県医学校を母体として開設。
4.22 第三高等中学校、春季大運動会挙行。
6.25 吉田村、京都市に編入され吉田町となる。
12.1 第三高等中学校、法科分科創設之件を上申。1889年3月28日裁可。
[1889(明治22)年]
1.22 徴兵令(改正)公布(法律1)。
2.11 大日本帝国憲法発布。
3.22 高等中学校医学部に薬学科を附設(文部省令2)。
7.1 東海道線新橋-神戸間全通。
7.15 第三高等中学校新校舎、吉田町に完成。本校・寄宿舎・事務所・物理学実験場・化学実験場・寄宿舎食堂・賄所および浴室をもって構成。
7.29 高等中学校法学部の学科と程度を規定(文部省令5)。
7.29 第三高等中学校に法学部設置(文部省告示11)。定員150名。
8.1 第三高等中学校、京都移転。
9.8 第三高等中学校、新寄宿舎開舎。
9.11 第三高等中学校、京都での開校式挙行。文相・府知事その他来賓を含め359名が臨席。
9.14 第三高等中学校、生徒取締上ノ件を議決し生徒に対して掲示。生徒呼称ノ事において校内での教職員や生徒の呼び方を規定し、制服制帽着用を定める。
9.20 第三高等中学校、生徒服装心得方を達。
12.27 第三高等中学校、薬学科附設之儀伺出。1890年2月5日認可。
[1890(明治23)年]
2.6 第三高等中学校医学部に薬学科を附設し定員を100名とすることを規定(文部省告示1)。
3.28 官立学校及図書館会計法公布(法律26)。
3.28 官立学校及図書館会計規則公布(勅令53)。
4.8 第三高等中学校医学部附設薬学科、私立岡山薬学校生徒を引継ぎ授業開始。入学資格は尋常中学校3年修了以上、修学年限3年。
4.8 天皇、第三高等中学校に来学。榎本武揚文相が上奏文にて同校の大学昇格の見込みについて言及。
4.9 琵琶湖疎水開通、竣工式挙行。
7.- 第三高等中学校医学部校舎、岡山に完成。
9.11 第三高等中学校法学部発足。入学者19名。
10.15 文部省直轄学校官制改正公布(勅令233)。高等中学校官制において教頭を廃止、教諭・助教諭は教授・助教授と改称。
10.30 教育ニ関スル勅語発布。
11.25 第1帝国議会召集。
12.27 第三高等中学校、教育ニ関スル勅語の下付をうける。
1891.1.7 医学部、下付をうける。
-.- 芳川顕正文相、「大学令案」を閣議に提出。地方大学の設立、高等中学校の拡張を主張。
[1891(明治24)年]
1.9 第三高等中学校、教育ニ関スル勅語の捧読式挙行。以後毎年学年始業式に挙行。
1.12 医学部で捧読式挙行。
2.20 衆議院議員長谷川泰、第1帝国議会に帝国大学新設案を提示。
4.22 第三高等中学校、経費削減を理由に予科補充科募集停止を上申。1892年7月廃止。
4.27 第三高等中学校、教職員の服制・帽制を規定。
7.- 第三高等中学校医学部病院、岡山に完成。
8.- 特命全権公使兼帝国博物館総長九鬼隆一、「京都大学条例」を起草。
10.22 第三高等中学校、校団行進中の敬礼式および行進途次心得方を規定。
[1892(明治25)年]
2.11 第三高等中学校壬辰会発足。課外活動を通じた職員・生徒の親睦組織として結成。
3.10 壬辰会機関紙『壬辰会雑誌』第1号発刊。
10.15 京都にて関西地方教育家大集会を開催(17日まで)。衆議院議員石原半右衛門、西京大学設立意見と題して演説。九鬼隆一、「京都大学設立考按」を寄送し、京都新設の大学では東洋学重視との旨を述べる。
11.22 文部省外国留学生規程公布(勅令102)。
12.24 長谷川議員ら、第4帝国議会に「関西ニ帝国大学ヲ新設スル建議案」を提出。
[1893(明治26)年]
1.- 第三高等中学校正門竣工。
7.10 第三高等中学校、尋常中学校卒業生を予科第二級以上に受け入れ、予科第三級を廃止。
8.11 帝国大学令一部改正(勅令82)。評議会の審議条項、評議員任期改正、各分科大学への教授会設置、講座制および名誉教授創設などについて規定。
9.11 帝国大学及文部省直轄諸学校雇外国人ニ関スル件公布(勅令96)。
9.20 第三高等中学校、校内及教場内心得を規定。
10.31 文官任用令公布(勅令183)。
10.31 文官試験規則公布(勅令197)。
[1894(明治27)年]
4.8 京都府会議員上野弥一郎、文相に対して府会から京都大学校設立を建議することを発議。
4.23 高等中学校校長会議開催。高等中学校の再編成を論議し、5月には京都高等学校に法・工・医の3学部を設置することを決議。
5.11 第三高等中学校、舎密局開講式が行われた明治2年5月1日を学校の創立の日とし、第1回紀念式挙行。
6.1 第三高等中学校、予科第二級の募集停止を開申。6月14日認可。
6.20 第三高等中学校、医学部薬学科廃止の件を上申。6月30日認可。
6.25 高等学校令公布(勅令75)。第一から第五までの高等中学校を高等学校と改称。
7.7 第三高等中学校最後の卒業証書授与式挙行。新設の第三高等学校に大学予科・薬学科がないため、本科・予科・薬学科生徒292名は他学校へ転配されることとなり、引き続き分袂式挙行。
7.12 高等学校に法・医・工学部および大学予科設置(文部省令15)。第三高等学校には法・医・工学部のみ設置。
7.12 高等学校修学年限および入学程度を規定(文部省令16)。専門学部4年(薬学部のみ3年)、大学予科3年。入学は尋常中学校卒業程度。
7.17 高等学校に設置する法・医・工学部の学科目および講座を規定(文部省令17)。
7.21 大学予科規程制定(文部省令18)。
8.1 第三高等学校規則認可。授業料を年25円と規定。
8.1 第三高等学校、旧予科第一級を1年限り存置することを決定。大学予科の学科を課す。1895年6月30日廃止。
8.1 清国に宣戦布告(日清戦争)。
9.11 第三高等学校開校。校長による3日間の生徒延見を実施。
9.11 第三高等学校、学生心得・学生規約規程・級長及組長規程を制定。
9.- 第三高等学校、学生の制服・制帽・帽章について規定。
10.16 第三高等学校学生、寄宿生規則を自主制定。11月10日認可。
10.30 第三高等学校嶽水会発足。第三高等中学校壬辰会の趣旨を踏襲。
12.24 第三高等学校、各学部卒業生に学士の称号を与える旨を伺出。
[1895(明治28)年]
1.22 第三高等学校学生、学生規約を自主制定し学校に願出、同日認可。
2.1 京都電気鉄道株式会社、営業開始。
4.1 吉田町に隣接する岡崎町にて第4回内国勧業博覧会開催(7月末まで)。
4.17 日清講和条約調印。
4.23 三国干渉。
5.22 第三高等学校、日清戦争凱旋祝賀式挙行。
6.14 第三高等学校学生、法学部と工学部の襟章を自主制定し学校に願出、同日認可。
6.18 第三高等学校、第一・第二・第四・第五高等学校の医学部卒業生に得学士の称号授与が認可されたことをうけて、卒業生への得業士の称号授与を伺出。7月2日裁可。
-.- 西園寺公望文相、伊藤博文首相宛に「清国賠償金ノ一部ヲ東京及京都ノ帝国大学基本金トシテ交付セラレンコトヲ請フノ議」を執筆、京都帝国大学の設置を主張。
-.- 文部省、京都帝国大学創立案を数種類作成。
[1896(明治29)年]
1.9 京都帝国大学創立費を含む1896年度歳入歳出総予算案、第9帝国議会に提出。3月5日可決、3月14日公布。
3.14 京都帝国大学医科大学創立費を含む1896年度歳入歳出総予算追加案、第9帝国議会に提出。3月25日可決、3月28日公布。
6.4 文部省、高等学校長会議における高等学校専門学科廃止の議論をうけ、第三高等学校に対し、法律学科・土木工学科・機械工学科の募集を見合わすべき旨通牒。
12.18 文相の諮詢機関として高等教育会議を設置(勅令390)。
[1897(明治30)年]
4.17 第三高等学校、大学予科設置(文部省令3)。
4.19 第三高等学校、規則改正を伺出。大学予科について規定。修学年限を3年とし、専攻分野別に第一から第三部を設置。5月10日認可。
5.1 帝国京都博物館(現京都国立博物館)開館。
6.18 京都帝国大学設置に関する勅令制定(勅令209)。6月22日公布。
6.22 京都帝国大学設置に伴い従来の帝国大学を東京帝国大学と改称(勅令208)。
6.22 京都帝国大学官制公布(勅令211)。職員の種類や職掌を規定。
6.22 帝国大学高等官官等俸給令公布(勅令212)。
6.22 帝国大学舎監特別任用ノ件公布(勅令214)。
6.23 京都帝国大学理工科大学を9月11日から開設する旨公布(文部省令8)。
6.24 京都帝国大学理工科大学講座ノ件公布(勅令219)。講座の種類とその数を規定。
6.28 文部省専門学務局長木下広次、京都帝国大学総長に就任。
7.14 京都帝国大学総長職務規程公布(文部省訓令)。
7.20 京都帝国大学の位置を京都市上京区吉田町と決定し、7月25日から事務を開始する旨公布(文部省告示16)。
8.21 「御真影」の下付をうける。
8.- 第三高等学校本館の西半分・事務所を譲りうけ、京都帝国大学事務所を西階下へ移転。
9.2 命令及告示式達示(達示1)。
9.3 分課規程達示(達示2)。
9.3 分科大学通則達示(達示3)。「学年学期休業」「入学」「在学」「休学及退学」「試問」「卒業」「聴講生」「特待学生」「授業料及用品料」「懲戒」の全10章51条。入学受験料5円、入学料2円、授業料1か月2円50銭。
9.3 理工科大学土木工学科及機械工学科課程達示(達示4)。
9.3 理工科大学物理学および数学教室(現・旧石油化学教室本館)竣工。
9.3 第三高等学校の新校舎、京都府より寄付された吉田二本松の地に完成。正門および門衛所・本校・銃器室・生徒控所・事務所より成る。翌年各教室・寄宿舎・文庫など竣工。
9.8 文部省訓令?第三高等学校の校地校舎校具を京都帝国大学へ引渡し方要綱?により、第三高等学校より校地、校舎、校具を引渡しをうける。
9.11 教育ニ関スル勅語(署名入り)の下付をうける。
9.11 学生24名を収容し仮寄宿舎開舎。
9.11 第三高等学校大学予科発足。
9.13 第1回学生宣誓式挙行。
9.14 授業開始。
10.11 寄宿料徴収規程達示(達示15)。
10.14 府立尋常中学校(のちの府立第一中学校、現洛北高等学校)、現吉田近衛町の新校舎に移転。
11.6 教育ニ関スル勅語の捧読式を挙行。
11.- 山口鋭之助理工科大学教授と数名の学生、運動会設立認可を木下総長に願出。
[1898(明治31)年]
3.11 奨学資金規程達示(達示3)。
-.- 3月か4月頃、運動会結成。
6.14 創立紀念祝日規程制定。毎年6月18日を創立紀念祝日と規定。
6.18 第1回創立紀念式挙行。
6.- 『京都帝国大学一覧』発行開始。以後1972年まで発行。
7.30 附属図書館、図書の受入れ開始。最初の受入れは東京帝国大学寄贈の『帝国大学一覧』。
8.23 第三高等学校寄宿舎を引き継ぎ寄宿舎として使用開始。
12.2 図書借受仮規則達示(達示15)。
12.10 学位令公布(勅令344)。大博士を廃し、薬・農・林・獣医学諸博士を新設。論文提出による学位請求者の可否決定機関が評議会から各分科大学教授会に移行。
12.10 博士会規則公布(勅令345)。
-.- 理工科大学機械工学教室および土木工学教室本館竣工。
-.- 理工科大学純正化学製造化学教室本館竣工。
[1899(明治32)年]
1.7 学位令細則公布(文部省令1)。
1.12 分科大学通則一部改正(達示1)。研究生に関する規定を追加。
2.7 中学校令改正(勅令28)。尋常中学校を中学校と改称。
2.7 実業学校令公布(勅令29)。
2.8 高等女学校令公布(勅令31)。
3.18 大学院規程制定。
3.28 文官分限令公布(勅令62)。
3.28 文官懲戒令公布(勅令63)。
4.3 第1回運動大会開催。
7.4 京都帝国大学法科大学及医科大学講座ノ件公布(勅令321)。
7.4 京都帝国大学法科大学および医科大学開設(文部省令35)。
7.10 1896年度より新入生募集を停止していた第三高等学校の法学部および工学部土木工学科・機械工学科、在学生をすべて送り出し消滅。
7.24 学内に文官普通懲戒委員会設置。
7.- 附属図書館大閲覧室竣工。
9.1 医科大学規程、同学科課程達示(達示8)。
9.1 法科大学規程達示(達示9)。
9.11 医科大学附属医院看護婦見習講習科設置。
9.12 分科大学通則一部改正。研究生に関する規定を削除。
10.3 評議員選挙手続達示(達示11)。
10.- 医科大学附属医院、内科・外科の診療開始。
11.24 第1回評議会開催。
11.29 附属図書館規則、同規則執行手続制定。
12.11 医科大学附属医院規程達示(達示22)。
12.11 附属図書館、閲覧業務開始。
12.14 法科大学学科課程達示(達示24)。
12.28 評議会規程裁定。
12.- 医科大学附属医院および看護婦養成所開設。
-.- 医科大学附属医院本館竣工。
[1900(明治33)年]
2.4 島文次郎図書館長らの発起による関西文庫協会、発会式挙行。図書館の管理や諸般の事項の講究と利用の発達を目的とし、事務所を附属図書館内に設置。
4.- 日本初の図書館関係雑誌『東壁』第1号発行。
2.2 運動会規則制定。
3.10 治安警察法公布(法律36)。
6.1 皇太子来学。
6.4 京都法政学校設立。
1904.9.3 京都法政大学設立。
1913.12.2 立命館大学と改称。
6.- 近衛篤麿、「近衛文庫」1,219部2,169冊を附属図書館に寄託(第1回)。
1916.7.- 769部10,606冊寄託(第2回)。
1923.9.- 98,000点寄託(第3回)。
7.4 文部省直轄学校外国委託生ニ関スル規程制定(文部省令11)。
7.10 第三高等学校工学部応用化学科・採鉱冶金学科、最初の卒業生を送り出し消滅。工学部閉鎖。
7.14 第1回卒業証書授与式挙行。優等卒業生に恩賜の銀時計を授与(1918年まで)。
9.15 立憲政友会発足。
9.24 法科大学規程改正(達示15)。国法、刑法、私法、民事訴訟法、国際法、経済の各演習科を設置し、論文の執筆を義務付け。
10.9 医科大学附属医院看護婦見習講習科規則達示(達示17)。
12.27 入学ニ関スル附則制定。
-.- 尊攘堂保存会、「維新特別資料文庫」554部2,169冊を附属図書館に寄贈。
-.- 理工科大学電気工学教室本館竣工。