第 5 編

年   表


[1901(明治34)年]
3.29 文部省外国留学生規程全部改正(勅令16)。
3.30 “KYOTO IMPERIAL UNIVERSITY CALENDAR”(『京都帝国大学一覧』)発行。
4.1 第一・第二・第三・第四・第五高等学校の医学部をそれぞれ千葉・仙台・岡山・金沢・長崎の医学専門学校とし、第三高等学校法学部・工学部を廃止(文部省令8)。
6.- 中江種造、奨学資金(中江奨学資金)寄贈。京大初の奨学資金。
9.7 北清事変に関する北京議定書調印。
11.11 文部省直轄学校外国人特別入学規程公布(文部省令15)。
11.21 医科大学解剖学教室本館竣工。
[1902(明治35)年]
1.29 衛生事務心得達示(達示2)。
1.30 医科大学衛生生理学教室本館竣工。
1.30 日英同盟協約調印。
2.7 医科大学附属医院産婆補習科規則制定。
3.28 臨時教員養成所官制公布(勅令100)。
5.6 高根義人法科大学教授、木下総長に大学制度改革の意見書を送付。
5.22 織田万法科大学長・坪井次郎医科大学長・中沢岩太理工科大学長、創立紀念式典の10月18日への変更を木下総長に上申。
7.14 織田万・井上密・仁保亀松・岡松参太郎・高根義人の各法科大学教授、大学運営に関する10項目の意見書を木下総長に提出。
8.21 医科大学解剖学教室講堂(現医学部系統解剖講義室)竣工。
9.- 中沢理工科大学長、同大学教授4名とともに木下総長に「京都帝国大学官制改正ノ義ニ付建議」を提出。分科大学長の互選を提案。
10.18 京都高等工芸学校(現京都工芸繊維大学)、現西部構内にて開校。
-.- 法科大学講義室竣工。
-.- 医科大学薬物法医学教室本館竣工。
[1903(明治36)年]
3.25 福岡医科大学設置(勅令54)。
3.25 総長職権の一部を福岡医科大学長に委任(勅令55)。
3.26 福岡医科大学を4月1日に開設する旨公布(文部省令8)。
3.27 専門学校令公布(勅令61)。
3.31 福岡医科大学に講座設置(勅令68)。
4.12 尊攘堂の落成式挙行。
5.7 法科大学規程および細則・補則改正(達示18)。最短在学年数を4年から3年に短縮し、法律学科と政治学科の区別を廃止、試問の科目群を4種に区分。
5.8 皇后来学。
6.10 戸水寛人東大法科大学教授ら7名、桂太郎首相に対露強硬建議書を手交。
6.23 附属図書館に電灯設備を設置。
8.3 福岡医科大学長、同大学規程および学科課程に当分京都医科大学規程および学科課程の適用を希望する旨開申。
9.21 谷本富(のちの文科大学教授)、木下総長に宛て「京都帝国大学文科大学の組織に関する卑見」を執筆。
12.5 舎監を学生監に改称し教授・助教授・書記官中より兼任とする(勅令229)。
-.- 医科大学医化学教室本館竣工。
-.- 医科大学病理解剖学教室本館竣工。
[1904(明治37)年]
1.- 文部省、学生の猶予利用による徴兵忌避に対して厳重警告(文部省訓令1)。
2.10 ロシアに宣戦布告(日露戦争)。
2.- 運動会臨時委員会、この年の運動大会を中止、1,500円の軍事公債応募を決定。
5.25 大森治豊福岡医科大学長、各医科大学の入学希望者が予定収容数に過不足をきたした場合に抽選による選択を求める「学生分配法ニ関スル意見書」を作成。
8.25 京都医科大学規程達示(達示7)。
8.25 理工科大学規程達示(達示8)。
9.1 通則達示(達示9)。「学年、休業」「分科大学」「大学院」「奨学資金」の全4章56条。学年暦を9月始業に変更。6月18日の創立紀念祝日を4月1日の京都帝国大学祝日へ変更。受験料5円、授業料1か年35円、大学院入学検定料10円、研究料1か年35円。入学料、特待学生制度、入学時の保証人制度廃止。
9.- 附属図書館、利用者の書庫内検索開始。
11.- 千賀鶴太郎法科大学教授、「日露平和克復の条件に就き挙国一致を望む」と題し講演。
-.- 京大初の紀要として理工科大学の“Memoirs of the College of Science and Engineering”を刊行。
-.- 中央発電所を本部構内東隅、補助発電所を理工科大学機械工場内にそれぞれ設置。
-.- 吉田山浄水場完成、構内に給水。
[1905(明治38)年]
4.1 京都帝国大学祝式挙行。卒業証書授与式と創立記念式典をこの日に統合。
4.2 祝式の一環として、午前9時から午後4時まで一般市民に大学内各教室開放。
6.2 法科大学教授会、卒業論文と卒業試問をともに課す規程改正案可決。
6.14 織田法科大学長、卒業試問の新設などを内容とする法科大学規程改正案を木下総長に提出。
6.30 評議会、法科大学規程改正案を時期尚早、他分科大学への影響大として否決。
7.13 織田法科大学長、評議会における否決につき木下総長に抗議。
6.17 松浦鎮次郎文部大臣秘書官、木下総長に対し、千賀法科大学教授の講和に関する談話を取り上げ、時局に関する言動を慎むよう職員に注意することを勧告する電報を送付。
8.25 文部省、戸水東大教授に対する休職処分を発令。
8.31 山川健次郎東大総長、戸水休職処分手続き上の責任をとり辞表提出。
9.5 日露講和条約調印。日比谷で講和反対国民大会開催。
9.11 織田法科大学長、戸水休職を不当処分とする法科大学教授会議の意見書を木下総長に提出、久保田譲文相への伝達を依頼。
9.15 松浦、意見書は教授会における議決事項ではないとして木下総長に返戻。
9.19 織田法科大学長、教授会の議決ではないとして久保田文相に対し再び上申。
9.29 法科大学臨時集会開催、戸水復職の勧告書を作成。
10.4 文相に提出。
9.- 運動会委員会、天長節祝賀のために以後11月3日に運動大会を開催し、運営には学生があたることを決定。
10.31 木場貞長文部次官、帝国大学特別会計法案、帝国大学特別会計規則案への意見申越を木下総長に要請。
11.20 評議会、帝国大学特別会計法ならびに同規則案について、定額支出金が将来予算の制約要因となることへの危惧、議会による大学財政統制への警戒を表明、予備費設定の困難さを指摘し、経理委員会の機能への疑問を提起。
12.15 寄宿舎を12月19日より当分閉鎖する旨達示。
[1906(明治39)年]
1.19 寄宿舎再開の旨告示。2月5日開舎。
3.3 舎生総会において寄宿舎申合を決定。
1.29 戸水、東大教授に復職。
3.- 運動会規則改正。春季に水上運動大会、秋季に陸上運動大会を開催することを決定。
4.15 運動会、大津三保ヶ崎において第1回水上大会(競漕)開催。
6.5 文科大学に講座設置(勅令135)。
6.11 文科大学を設置し、9月11日より開設する旨公布(文部省令10)。
8.3 牧野伸顕文相、学位令改正案を評議会に諮詢。
9.13 評議会、学位授与の最終決定を評議会の権限とすることなどを内容とした修正案を議決。
8.16 文科大学規程制定。
8.30 福岡医科大学、分科大学評議員選挙手続の適用の可否問い合わせ。
9.4 福岡医科大学からも評議員1名の互選を命じる達示。
-.- 京大初の留学生として中国人学生1名を受入れ。
[1907(明治40)年]
2.6 市立美術工芸学校(現京都市立芸術大学)、現吉田上阿達町の新築校舎に移転。
3.20 評議会、修学年限4年・卒業論文廃止・4種試問制度廃止・2学科制復活などを内容とする法科大学規程改正案を了承。
5.13 法科大学規程改正(達示4)。
3.21 小学校令改正(勅令52)。義務教育年限を6年に延長。
3.25 帝国大学特別会計法公布(法律19)。
3.25 帝国大学特別会計規則公布(勅令53)。
3.25 帝国大学経理委員会規則公布(勅令54)。
3.30 東京帝国大学及京都帝国大学並直轄諸学校ニ於ケル奨学寄附金委任経理規程公布(文部省訓令4)。
3.31 木下総長および中沢前理工科大学長に京大初の名誉教授の称号を授与。
4.1 創立十周年祝賀式を挙行し、祝賀講演会を開催。以後毎年大学祝日に通俗講演会開催。
4.2 学内一般開放実施。
5.23 建築部設置。
6.17 学生監を専任化(勅令231)。
6.22 東北帝国大学創設(勅令236)。
7.1 理工科大学教授久原躬弦、総長事務取扱を命じられる。
7.18 帝国大学学生監特別任用ノ件公布(勅令279)。
10.16 学習院御用掛岡田良平、総長に就任。
11.11 評議会、岡田総長の6項目の提案(課外講演・制服制帽の着用・学内の清潔保持・卒業式の執行・特待生制度の設置・寄宿舎の増設拡張)を可決。
-.- 法科・文科大学教室(事務室・研究室)竣工。
[1908(明治41)年]
1.17 「人格修養のための課外特別講演」開催。以後毎週金曜日に実施。1910年以降は毎年8月の夏季講演会に発展。
3.13 通則一部改正(達示5)。特待学生に関する規定を追加。
4.23 京都・福岡の両医科大学規程を改正し、甲乙丙丁評価から百点満点に試問成績評価方法を変更。
5.21 京都医科大学学生、試験採点法変更と試験成績発表への反対を学生総会で決議。
6.3 事務官・司書官・司書・薬局長設置(勅令143)。
6.16 「帝国大学事務官、帝国大学司書官及帝国大学司書特別任用令」公布(勅令154)。
7.14 卒業証書授与式挙行。1919年に廃止されるまで毎年7月に挙行。
7.21 岡田総長、文部次官を兼任。
7.25 理工・医・法3分科大学の教授15名が協議、岡田総長の文部次官との兼任拒否、交渉のための委員の選出などを決議(岡田総長退職事件の発端)。
7.28 村岡範為馳・難波正・森島庫太・織田万の4教授、岡田総長と談判、兼任辞退を要求。岡田拒否。
7.29 田辺朔郎・千賀鶴太郎・中西亀太郎の3教授、文部省にて小松原英太郎文相と談判、岡田の兼任辞職を要求。文相、3教授の要求を拒否。
7.31 田辺・千賀両教授、山県有朋枢密院議長を訪問。山県、岡田総長の文部次官兼任の不都合を認める。
8.1 村岡・田辺・千賀・中西の4教授、文部省に小松原文相を訪問。文相、態度を一変して総長の兼任不可を認める。
8.10 各分科大学での検討結果を持ち寄り、総長後任問題につき委員会で協議。学内なら久原躬弦理工科大学長、学外なら山川健次郎東大名誉教授を候補とし、この夜久原に打診。
8.28 村岡・織田・田辺・井上密・千賀などの教授54名、後任総長に学内なら久原、学外なら山川を推薦し、両名以外の場合の事前照会を要求する旨決議。
9.2 元学習院長菊池大麓、総長に就任。
9.5 久原・山川推薦の決議連署者中44名会合、小松原文相に不満足の意を書面で提出することを大多数で可決。
9.30 赤司鷹一郎文部大臣官房秘書課長、菊池総長に対し、大学総長選任に関する京大教授の意見書を棄却した旨回答。
10.13 戊申詔書発布。
11.4 衛生事務取扱規程達示(達示15)。
12.1 附属図書館商議会規程達示(達示19)。
12.18 通則一部改正(達示21)。他の帝国大学の卒業生に大学院の門戸を開放、入学時の保証人制度復活。
[1909(明治42)年]
1.- 医科大学で開業医を対象に講習科開始。以後毎年1月実施。
2.6 法科大講堂において学生大茶話会開催。永続的学生団体を組織する議が起こり、準備委員が規則草案作成。
9.- 菊池総長、以文会規則を教授・学生一般に示し賛成を得る。
4.7 薬剤手設置(勅令84)。
4.8 会計事務取扱手続を改めて会計事務規程制定。
7.1 通則一部改正(達示14)。研究料納付を怠る大学院学生に対する除名規定を追加。
9.15 附属図書館、中井家絵図・書類(建築関係2,267枚、114冊)を購入。
10.20 通則一部改正(達示20)。外国学生に卒業証書を授与しうることを規定。
10.29 通則一部改正(達示23)。入学料復活(5円)。優秀な卒業生に1か年月額30円を支給して大学院で研究に専念させる制度として特選給費学生に関する規定を追加。
11.- 台湾総督府より高雄州旗山郡所在の土地を基本財産として移管(台湾演習林)。
12.15 副手規程達示(達示28)。
-.- 『以文会誌』第1号発行。
1913.12.12 『学友会誌』(第8号)と改称。
[1910(明治43)年]
3.28 高等官官等俸給令改正(勅令134)。
3.31 医科大学法医学教室本館竣工。
3.31 附属医院眼科学教室および病室本館竣工。
5.21 石川一事務官、各分科大学長に対し、教授会への総長の列席希望を伝える旨通牒。
5.25 大逆事件の検挙開始。
5.26 講演会会則および聴講者心得制定。
8.8 第1回講演会開催(27日まで)。以後1937年まで毎年夏期に実施。
8.22 韓国併合に関する日韓条約調印。
9.21 運動会役員会、水上大会・陸上大会の中止を決定。
10.1 皇太子来学。
10.29 菊池総長、岡田次官宛書翰において、河田嗣郎法科大学助教授の『婦人問題』および『社会主義論』につき、河田に注意を与えた旨報告。
10.31 菊池総長、岡田次官宛書翰において、河田が自著の絶版を了承した旨報告。
11.- 平松時厚、「平松文庫」3,100冊を附属図書館に永久寄託。
12.22 九州帝国大学創設(勅令448)。
[1911(明治44)年]
1.9 通則一部改正。授業料・研究料を1か年50円に値上げ。
1.28 学生控所(現学生集会所)開場式挙行。
2.4 国定教科書の南北朝併立を非難した質問書が衆議院に提出される(南北朝正閏問題の発端)。
7.21 文部省、南朝正統論に立つ教科書への改訂を決定。
3.31 書記官廃止、および総長職権の一部の福岡医科大学長への委任廃止(勅令41)。
3.31 京都医科大学を医科大学に改組(勅令44)。
3.31 福岡医科大学を九州帝国大学医科大学に改組(勅令45)。
6.4 岡村司法科大学教授、岐阜県教育会総会における講演「親族と家族」で民法を批判(岡村教授譴責事件の発端)。
6.7 岡村、菊池総長に面談、4日の講演内容について報告。「制裁」があれば甘受する旨述べる。
6.19 通則一部改正(達示8)。京都帝国大学祝日を4月1日から3月1日に変更。
6.28 文部省、各地方で催す教育会・自治後援会・各種講習会などの講演者は、大学教授については文部省または大学総長に人選を依頼すること、その他の名士のときも予め通知すべき旨通牒。
7.4 小松原文相、桂太郎首相宛書翰において、岡村への厳しい処分は家族主義への批判を呼び起こすので罰俸程度にすべきとの菊池総長の意向を報告。
7.18 岡村教授に対する譴責処分発表。
10.9 評議会、評議会規程から文相への報告義務を削除することを決定。
10.10 武昌の新軍・同盟会、蜂起(辛亥革命)。
11.10 医科大学附属医院産婆養成科規則制定。
11.16 通則一部改正(達示25)。入学料を納付しない者、および保証書を提出しない者の除名を規定。
11.17 文部省、各帝国大学直轄学校において「通俗講演会」を開催するよう通牒。
11.18 皇太子来学。
12.15 寄宿舎生、総会開催。大学側の寄宿舎建て替えに伴う運営方針の改革に反発し、自主解散を決定。
1912.2.10 解散式挙行。
-.- 附属医院小児科学教室本館竣工。
[1912(明治45?大正元)年]
5.8 理工科大学教授久原躬弦、総長事務取扱を命じられる。
5.13 理工科大学教授久原躬弦、総長に就任。
6.11 京都市電運転開始。
7.20 附属医院精神病学教室講堂竣工。
9.13 明治天皇「御大葬」に際して遥拝式を挙行。
10.21 有機化学実験室より出火、理工科大学本館全部を焼失。
12.1 朝鮮総督府より慶尚南道咸陽郡・同道山清郡・全羅北道南原郡・同道雲峯郡所在の国有林を80年を期限として借入れ(朝鮮演習林)。
12.23 寄宿舎附属道場(武道場)竣工。
12.30 附属医院精神病学教室本館竣工。
12.- 1904年に募集を中止していた産婆講習科、附属医院産婆養成科として再開。
[1913(大正2)年]
2.10 憲政擁護派の民衆、帝国議会を包囲(第1次憲政擁護運動)。第3次桂内閣、総辞職を決意。
3.10 各分科大学選出の総代の会合において、以文会と運動会を合併し、学友会規則を議決。
4.16 烏丸通-東山通間の丸太町通、東山三条-熊野神社間の東山通が拡張され、市電開通。
5.9 東北帝国大学総長沢柳政太郎、総長に就任。
6.13 文相の諮問機関として教育調査会設置(勅令176)。
6.26 通則一部改正(達示6)。入学者保証人制度規定を廃止。授業料納付の義務を怠る者のうち情状の重い者の除名を規定。
6.- 住友家別邸清風荘庭園完成。
7.10 寄宿料徴集規程制定。
7.12 沢柳総長、医・理工・文各分科大学の計7教授に辞表提出を要求。
8.5 7教授の依願免本官発令。
7.13 法科大学協議会、教授の任免は予め教授会の同意を得ることを要すと決議、沢柳総長に口頭で抗議。
7.23 法科大学協議会、教授の任免に当該分科大学教授会の同意が必要との意見書を作成、教授・助教授全員が連署し、沢柳総長への提出を決定。8月2日提出。
7.26 文科大学教授会、法科大学からの23日付意見書に対し、多数は「文意強硬に失す」と反対、その旨法科大学に回答。
8.15 仁保亀松・織田万・勝本勘三郎の3教授、沢柳総長と会談。沢柳、意見書の旨趣には賛同することを躊躇する旨回答。
9.11 学生控所の東に3棟からなる新しい寄宿舎(現吉田寮)竣工。
10.6 法科大学協議会に沢柳総長を招き会談。沢柳、教授の任免に関しては総長の専断を是とする旨表明。
10.22 委託学生規程達示(達示20)。
10.29 沢柳総長、教授の地位は尊重するが、教授の任免に関し予め教授会の同意を得るのは不穏当とする答弁書を法科大学協議会に送付。
12.10 法科大学協議会、教授会の同意による教授の任免が現行制度の運用上最も穏当とする弁駁書を沢柳総長に提出。
12.11 法科大学協議会、学長以下3委員を上京させ、奥田義人文相に対し教授任免の権限につき陳情。仁保ら、奥田文相の採決を求める上申書を提出。
12.16 文科大学陳列館竣工。
12.18 京都府会、京大への農科大学設置を希望。京都府より敷地を寄付すべしとする意見書を決議、大森鐘一知事に提出。
[1914(大正3)年]
1.1 法科大学教授・助教授一同、「大学教授ノ任免ニ関スル交渉顛末」を『京都法学会雑誌』に発表。
1.13 沢柳総長、法科大学交渉委員に対し、教授の任免には教授会の意見を尊重するとする覚書を手交。法科大学、総長が教授側の意向を全面的に受け入れたとして、問題解決の旨発表。
1.14 午前、沢柳総長が仁保法科大学長を招き、前日法科大学の公表した内容は自らの意見と異なると発言。午後6時、法科大学協議会に沢柳出席、「教授会の同意を経る」との言明はしていないとして教授側と対立。午後10時、法科大学協議会、連袂辞職を決定、総長に辞表を提出。
1.15 法科大学、各分科大学教官への報告会を開催。各分科大学、引き続き各自善後策を協議。
1.15 午後3時、法科大学学生大会開催。法科大学教官の留任を期すことを決議、上京する委員11名が選ばれ直ちに出発。午後5時、法科大学卒業生19名も法科大学教官会議室に集まり、翌日2名が委員として文相に陳情のため上京。
1.17 文部省の招電により法科大学長ら3教授が上京、事情を説明。
1.20 法科大学学生大会、「教官各位と進退を共にせんことを期す」と決議。教官の主張を正当なものとし、留任を求める意見書を発表。
1.21 東大法科大学教授協議会、大学自治の精神で現行制度を改正すること、現行制度のもとでも大学自治の精神で運用すること、京大法科大学の事件もこの趣旨で解決すること、の希望を覚書にして文相に提出。
1.22 法科大学教授一同、東京に到着、文部省で富井政章・穂積陳重両東大名誉教授と会談。
1.23 法科大学教授・富井・穂積・奥田文相で協議。奥田、?教授ノ任免ニ付テハ総長カ職権ノ運用上教授会ト協定スルハ差支ナク且ツ妥当ナリ」との意向を表明。法科大学教授一同、留任を決定。
1.24 法科大学教授富井・穂積・奥田・沢柳、奥田の意向をもとに覚書を作成。仁保、問題解決を発表。
1.27 衆議院予算委員会で沢柳事件が取り上げられ、奥田文相、人事に関して教授会が決定権をもつものではないと発言。2月2日衆議院予算委員会第1分科会、2月4日衆議院本会議、3月2日貴族院予算委員会第3分科会でも取り上げられる。
2.5 蔵経書院専務松村甚左衛門、「蔵経書院本」4,938冊を附属図書館に寄贈。
2.6 松浦鎮次郎文部省専門学務局長、宗像政東京府知事に対する学生の政治活動取締の通牒を沢柳総長に送付。
2.8 法科大学教授・助教授一同、「大学教授ノ任免ニ関スル事件ノ経過及解決」を『京都法学会雑誌』に発表。
2.9 法科大学協議会、奥田文相の議会における答弁に対し教授会としては何らの運動を行わないことに決定。雉本朗造・小川郷太郎・佐々木惣一の3教授の強硬論孤立。
2.11 内田銀蔵・狩野直喜・雉本・佐々木・織田万が会合、織田が佐々木らの心事を理解し「自ら、事実証明の任に当たらむ」と約束。
2.12 雉本・小川・佐々木教授の不服は誤解であるとの織田の談話、『大阪朝日新聞』に掲載される。
2.28 医科大学生理学教室研究室(現国際交流セミナー室)竣工。
3.13 文科大学教授の協議会、後任総長問題につき議論、松本文三郎学長および藤代禎助・狩野の両教授を交渉委員とし、他分科大学と交渉することに決定。
3.31 荒木寅三郎医科大学長・松本文科大学長、総長互選運動の代表として文部省に陳情のため上京。
4.14 荒木・松本両学長、総長互選のための各分科大学委員の協議会において、京大の希望として、総長任免の際の事前照会、総長の学内互選の2点を文部省に要望した旨報告。
4.28 医科大学教授荒木寅三郎、総長事務取扱を命じられる。
4.- 理工科大学に中央実験所設置。
6.15 文科大学臨時教授会開催。総長候補者選定法案承認。
6.20 一木喜徳郎文相、教育調査会に「大学校令案」(一木案)を提出。
7.6 理工科大学を理科大学・工科大学に分離(勅令145)。
7.6 理科大学・工科大学に講座設置(勅令146)。
7.7 理科大学規程達示(達示18)。
7.7 工科大学規程制定。
7.28 第1次世界大戦勃発。
8.23 ドイツに宣戦布告し参戦。
7.- 菊池大麓、教育調査会において「学芸大学」案を提出。
8.17 招電により上京した荒木総長事務取扱および各分科大学長、一木文相と会見。一木、山川健次郎東大総長の京大総長兼任を通告。
8.19 東京帝国大学総長山川健次郎、京大総長を兼任。
8.19 法科大学規程改正(達示23)。修業年限を4年から3年に短縮。
8.29 工科大学ならびに理科大学の授業開始を9月11日とする旨公布(文部省令23)。
8.- 台湾演習林において、三井合名会社に委託して樟脳生産事業開始。
9.25 滋賀県大津町に医科大学の実験所設置。
11.5 附属図書館、「平松文庫」寄託本を一括購入。
11.29 附属医院皮膚病学黴毒学教室本館竣工。
12.18 本部及各分科大学事務室竣工。
-.- 工科大学化学教室本館(のち工業化学教室本館)竣工。
-.- 理科大学化学教室本館、火災から復旧し竣工。
[1915(大正4)年]
2.25 福原鐐二郎文部次官、山川総長に対し、一部を除いた官務に服する者の衆議院議員との兼職を許可しない旨通牒。
-.- この頃、第12回総選挙(3月25日投票)に、仁保亀松法科大学教授が三重県の有志に推されて立候補。結果は落選。
4.15 評議会、「御大典」に賀表を提出することに決定。
5.- 山川総長、後任総長候補として、はじめに桜井錠二東大理科大学長次いで秋月左都夫宮内省御用掛を推薦し、各分科大学教授会に諮問。両名共に拒否の回答多数。
6.3 久保田譲元文相、貴族院予算委員会において、京大における総長選任手続きを批判。
6.9 沢柳政太郎、貴族院本会議において、京大における総長選任手続きを批判。
6.上 山川総長、後任総長候補として荒木寅三郎を推薦し、各分科大学教授会に諮問。法・医・工・文賛成、理は学外より専任総長を置くべきとして不賛成と回答。
6.15 医科大学教授荒木寅三郎、総長に就任。
6.25 医科大学研究科規程制定。
8.10 帝国大学名誉教授及文部省直轄諸学校名誉教授ノ待遇ニ関スル件公布(勅令152)。
8.- 理科大学に化学特別研究所設置。
9.21 高田早苗文相、菊池大麓の案を基礎に作成した「大学令案(高田案)」を教育調査会に諮問。
10.5 評議会、文相より諮詢のあった新大学令案について、審議の上総長より各分科大学教授会に諮詢し21日までに各教授会の意見を徴し、評議会に参集することに決定。
10.21 評議会、官公私立大学設立に賛成、修業年限の短縮は不可、などを内容とする答申決定。
10.8 帝国学士院長菊池大麓、来学して大学令案と帝国大学との関係につき講演。
11.6 法科大学弁論部、東大法科大学の緑会弁論部を招き第1回東大京大聯合学生演説会開催。
11.10 天皇即位礼に際し、運動場で祝賀式挙行。
11.12 祝賀行事の一環として学内を開放(13日まで)。
12.- 樺太庁より敷香郡泊岸村・敷香村所在の国有林を移管(樺太演習林)。
[1916(大正5)年]
3.2 評議会、教授海外派遣の順序決定方式につき各分科大学から提出された決議を審議。
3.30 法科大学研究室竣工。
3.31 工科大学中央実験所竣工。
3.- 医科大学附属医院看護婦見習講習科を医科大学附属医院看護婦講習科に改組。
5.15 医科大学附属医院小児科教室本館全焼。
6.2 電力委員会規程達示(達示9)。
6.12 教育調査会、新大学令案に対する帝大・貴族院・枢密院における反対論を考慮し、審議延期の旨申し合わせ。
7.7 教授欧米派遣ニ関スル申合裁定。
12.5 荒木総長、田所美治文部次官に対し、教官と衆議院議員の兼職の可否につき照会。
12.11 田所次官、荒木総長に対し、教官と衆議院議員との兼職を不可とする1915年2月25日の内牒を確認するよう回答。
1917.2.28 田所次官、荒木総長に対し兼職を許可する旨通牒。
12.8 理科大学物理学教室輻射学・放射学研究室(旧防災研究所事務室)竣工。
12.13 通則一部改正(達示28)。病気またはその他の事故により成業の見込みのない者の除籍に関して規定。
12.23 医科大学に看護婦長設置(勅令258)。
[1917(大正6)年]
3.1 法科大学弁論部の一部学生、寺内内閣批判の演説旅行を企画。京都府何鹿郡綾部町有楽座で最初の演説会を開催。
3.2 京都府与謝郡加悦町で演説会開催。
3.- 法科大学学生高山義三ら学生5名を学業懈怠との理由で訓戒処分。
3.15 評議会、学生政治運動ニ関スル件を決定、学生生徒の政治運動への従事を禁止。
3.- 大学奉職者を組合員とし、日用品の購買、組合員への売却を目的とする京都大学購買組合成立。
5.15 奥村電気に組織された友愛会京都第1支部の結成式挙行。法科大学学生高山義三、支部長に就任。
6.22 建築委員会規程達示(達示14)。
7.31 工科大学土木工学教室本館(現工学部土木工学科教室研究室)竣工。
9.20 首相の諮問機関として臨時教育会議設置(勅令152)。
11.7 ソヴィエト政権樹立宣言(10月革命)。
11.10 天皇来学。
12.15 臨時教育会議、兵式体操振興ニ関スル建議を可決。学校教育における兵式教練振作を提言。
[1918(大正7)年]
1.17 庶務課から『本部通知票』第1号発行。
1919.1.4 第131号から『学報』と改称。
1.18 高等試験令公布(勅令7)。帝国大学法科大学卒業生の無試験による判事検事試補・弁護士資格獲得の特典を廃止。
2.- 東大教授14名と京大教授2名(小川郷太郎・雉本朗造両法科大学教授)、独立の学術研究所設置を提言した「帝国大学改正私見」を公表。
3.28 第三高等学校尚賢館竣工。
3.31 富士川遊、「富士川文庫」4,347部9,017冊を附属図書館に寄贈。
4.1 北海道帝国大学創設(勅令44)。
4.3 第三高等学校新徳館竣工。
4.25 荒木総長、評議会において大学学制問題に関する11項目を諮問。評議員以外に各分科大学より3名の教授を選出して臨時学制問題改革審議委員会を組織、審議することに決定。
5.10 試問項目を5項目追加。
5.17 臨時学制改革問題審議委員会、総長諮問の事項につき決議。
5.23 田所美治文部次官、荒木総長に対し、『大阪毎日新聞』掲載の佐藤丑次郎法科大学教授の談話としての寺内正毅首相・水野錬太郎内相・後藤新平外相の地方長官への訓示に対する批評を不穏当とし、調査の上報告を要求。
5.30 荒木総長、田所次官に対し、佐藤に注意を促したこと、新聞記事は実際の佐藤の談話とは異なっていることを回答。
6.13 評議会、学内購買組合の出願を許可。
6.22 臨時教育会議、大学教育および専門教育の改善に関する答申を首相に提出。総合制を原則とするも単科制に関しても認めること、分科大学に研究科を置き研究科を総合して大学院とすること、官立に加えて私立および公立を認めること、教授の停年制を設けて退職教授に退職俸を支給すること、学年の開始を4月とすることなどを提言。
6.24 技手設置(勅令255)。
7.23 富山県の漁家の女性ら数十人、米価高騰防止のため米の船積み中止を求めて海岸に集合(米騒動の発端)。以後、全国に波及。
8.10 京都府にも波及。
8.2 政府、シベリア出兵を宣言。
9.18 帝国大学総長職務規程公布(文部省訓令)。
9.- 法科大学学生高山義三を幹事役とした学生・労働者組織京都労学会結成。
10.27 岡崎公会堂で恒例の東大・京大連合学生演説会開催。京大から田万清臣・古市春彦・津田元一、東大から赤松克麿・宮崎龍介らが出場。
12.7 京大側の活動に刺激を受けた東大学生ら、新人会結成。
11.11 ドイツ、連合国と休戦協定調印(第1次世界大戦終結)。
12.6 大学令公布(勅令388)。大学の目的を「国家ニ須要ナル学術ノ理論応用ヲ教授シ其ノ蘊奥ヲ攻究」および「人格ノ陶冶及国家思想ノ涵養」と定め、分科大学に代わる学部の設置、学部への研究科の設置、研究科を総合した大学院の設置、公立大学・私立大学および単科大学の設置などを規定。
12.6 高等学校令全部改正(勅令389)。高等学校の目的を男子高等普通教育の完成と定め、公立・私立も認めること、修業年限7年を原則としつつ3年制も認めることなどを規定。
[1919(大正8)年]
1.2 医科大学附属医院小児科学教室本館、火災より復旧し竣工。
2.7 大学令公布に伴い、官立総合大学のみに適用すべき法令として帝国大学令を全部改正(勅令12)。
2.7 帝国大学及其ノ学部ニ関スル件公布(勅令13)。京都帝国大学の学部を法・医・工・文・理学部と規定。
2.7 京都帝国大学各学部ニ於ケル講座ニ関スル件公布(勅令15)。
2.10 松浦鎮次郎専門学務局長、荒木総長に対し、16日の普通選挙促進大デモンストレーションに京大法学部生が参加予定との新聞記事が事実ならば充分諭示されたいとの旨要請。
-.- 荒木総長、学生の参加なしと回答。
2.24 南弘文部次官、荒木総長に対し、普通選挙運動へ学生が参加しないよう注意する旨通牒。
2.25 清野長太郎兵庫県知事、荒木総長に対し、京大法学部学生が23日神戸市湊川公園で関西大学・同志社大学学生と演説会を共催し普通選挙要求の演説を行った旨通知。
3.1 京城・平壌などで朝鮮独立宣言が発表され、示威運動おこる(3・1独立運動)。
3.12 法学部、学部長選任方法を教授会の互選とすることを可決。
3.28 高等諸学校創設及拡張費支弁ニ関スル件公布(法律31)。これにより着手された第1次創設・拡張計画には、京大での農学部創設と法・理学部拡張が盛り込まれる。
3.28 臨時教育会議、学位制度改善に関する答申を首相に提出。官立大学・私立大学・公立大学において学位を授与すること、博士会を廃止すること、帝国大学総長の推薦による学位授与を廃止することなどを提言。
4.1 京都帝国大学官制一部改正(勅令53)。帝国大学令改正に伴い、全面的に改正。学部長の設置などを規定。
4.17 総長選挙手続裁定。
5.4 北京の学生、パリ講和会議における山東問題の扱いに抗議し示威運動(5・4運動)。
5.12 京大初の総長選挙の第1回投票実施。
5.16 第2回投票実施。
5.23 第3回投票実施。荒木寅三郎を総長に選出(再任)。
5.23 文相の諮問機関として臨時教育委員会設置(勅令238)。
5.29 経済学部設置(勅令255)。
5.29 法学部の経済学・財政学・統計学講座を廃止し、経済学部にこれら3種類の講座を設置(勅令256)。
5.31 経済学部規程達示(達示20)。
6.5 評議会、優等卒業生・特待生制度および卒業式の廃止を決定。
6.28 ヴェルサイユ講和条約調印。
7.12 附属図書館、河合弘民の遺族より「河合文庫」793部2,160冊を購入。
12.- 建築部、建築課に改組。
-.- この年、医学部選科に女性2名が入学(京大初の女子入学者)。
[1920(大正9)年]
1.9 建築課、営繕課に改組。
1.10 国際聯盟発足。
2.5 大学令による初めての私立大学として慶応義塾大学・早稲田大学の設立認可。
7.6 学位令制定(勅令200)。
9.15 文部省在外研究員規程公布(勅令393)。
10.30 教育勅語御煥発後三十年記念勅語捧読式挙行。
11.25 評議会、農学部敷地を元白川村および元田中村地内と決定。
11.7 1910年9月に中止となった運動会を再開し、第11回陸上運動会を下鴨運動場にて開催。
-.- 理学部生物学教室(動物学教室・植物学教室)本館竣工。
-.- この年度、北部構内農学部用地として民有地を寄附金献納資金で購入(1922年度まで)。